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こんな先生です
今回はじめてブログというものを書きました。
以前より気になっていたのですが、最近では当たり前のように
ブログを目にするようになりました。
もともと何をするにもゆっくりな性格のため
いつの間にか1年という月日が経ってしまいました。
業者さんにはすぐにブログが必要だからと急かして開設してもらったのにも関わらず……
まずは簡単に自己紹介します。
名前 石川 正(いしかわ ただし)
名前の由来は母の正子から。
幼少時より名前を書くのはとても楽でした。学級委員の投票数ではいつも5増し?
1966年2月生まれ
57歳の白髪とひげを生やした普通のおっさんです。
出身は沖縄県。
何故、何のゆかりもない場所(豊後大野市三重町)で開業したのか。
きっかけは妻が大分県出身だから。
もう少し掘り下げてみますと
1992年に地元の琉球大学医学部を卒業。
形成外科に興味をもっていましたが、当時の大学に形成外科の講座がなく、
勉強する環境にありませんでした。
そこで全国的に有名であった昭和大学形成外科の教室に入局しました。
入局後、2年間の外科研修(愛知県西尾市民病院)を経て大学に戻った後は
関連病院で技術を習得するためしっかり鍛えられました。
(参考までに)
亀田総合病院(千葉県鴨川市)➡国保松戸市立病院(千葉県松戸市)➡新日鉄八幡製鉄所病院(福岡県北九州市)➡藤枝市立総合病院(静岡県藤枝市)➡昭和大学病院(東京品川区)➡聖マリア病院(福岡県久留米市)
その間に形成外科専門医、医学博士号を取得しました。
新日鉄八幡製鉄所病院に勤務の時に、妻をめとり、藤枝市にいた時に第一子(長男)を授かりました。
『いずれ妻の実家大分に戻る』ということが頭の隅に残っており、約束を果たすべく
大分行きを決意。ただ、大分県には関連病院がなかったため、戻る方法は開業のみ。
形成外科専門医もあることだし『(仮称)石川形成外科・皮膚科クリニック』として開業でもすれば…と簡単に考え妻に相談。
すると『形成外科より皮膚科の患者さんが多いのに』『中途半端な知識では患者さんに迷惑がかかる』
『ちゃんと勉強するまでダメ』と一喝されました。
幸い、大分大学皮膚科学教室で一から勉強させていただくことになりました。
2001年~2007年期間中、大学病院と別府医療センターで皮膚科をしっかりと叩き込まれました。
1年目の新人医師とともに一から勉強しないといけないこと、さらに年収も半分以下となったときに
『何をしているのだろう』心が折れた時期もありました。
ただ当時の生涯一研修医といった考えの教授のもとで仕事をしていましたので、頑張ることができました。
また、第2子(長女)にも恵まれましたので、より一層の励みになりました。
そのかいあって2006年皮膚科専門医も取得でき、
2007年5月に『いしかわ皮ふ科・形成外科』として開業しました。
その当時、三重町を中心とした豊後大野市には皮膚科専門医がいなかったことも理由の一つです
★ いきなりホームページに映っている白髪・ひげもじゃのおっさん医師がいきなり診察を始めると不安になると思います。
また、診察にかかられている患者さんも本当に大丈夫なのかな?この先生と不安になられる方、
きちんとした経験を積んでいますので、多少は安心できましたでしょうか。
これからも色々と情報を発信していきますので、ご参考にしてみて下さいね。